「つながる地域のものづくり」第3回 稲岡亜里子氏【京都の水を軸に、時を経ても存在できるものを】

「つながる地域のものづくり」第3回 稲岡亜里子氏【京都の水を軸に、時を経ても存在できるものを】

地元を拠点とし、ものづくりに取り組む人々にスポットを当てる本企画。
日本が誇る技術を継承する職人、古き良き伝統を紡ぐ工房、地元を盛り上げる取り組みに挑戦する企業など、地域に根差してものづくりと向き合う匠たちを紹介していきます。

記事の最後には、“匠が惚れる匠”として、次回の出演者へバトンをつないでもらいます。

第3回は、老舗蕎麦店「本家尾張屋」の十六代目当主、稲岡亜里子氏。10代後半で渡米し、ニューヨークと東京を拠点に写真家として活躍していた稲岡さんが、地元の京都へ戻り、家を継ぐ決心をしたきっかけや京都の魅力について明かしてくれました。

世界を巡った写真家時代

私は京都にある「本家尾張屋」の当主を8年ほど前から務めています。しかし、それまでは写真家として生活をしていました。というのも、私はこの家の長女として生まれましたが、弟がいたことに加え、両親から強制されなかったこともあり、特に跡継ぎとしての意識はなかったからです。今思うと、家業の継承は強制されてできるようなことではありませんし、両親は子どもたちが自発的に「本家尾張屋」を継承するという意識になるのを待ってくれていた気がします。

そんな環境で育った私は、高校2年生のとき、世界を見てさまざまな経験をするため、アメリカ留学を決意しました。その時点では、写真と人類学に興味があったのですが、大学は写真の道に進むことを選択。ニューヨークにあるパーソンズ美術大学の写真科へ進学しました。

大学卒業後は、ニューヨークと東京をメインに世界各国を回り、写真家として活動を続けていました。

アイスランドの「水」が京都に立ち返らせてくれた

そんな中、2001年ニューヨーク滞在中に9・11を体験することになります。戦争の恐ろしさ、人間の愚かさを感じていた時期、ニューヨークで知り合ったアイスランド人の友人に誘ってもらい、2002年アイスランドを初めて訪れました。

「つながる地域のものづくり」第3回 稲岡亜里子氏【京都の水を軸に、時を経ても存在できるものを】

そこでアイスランドの国民性や、音楽、自然の魅力、ただそこにある水の美しさに魅了され、風景写真を撮るようになりました。9・11悲劇を身近で体験したからこそより強くつながったのかもしれません。

水場の風景を写真に収めているうちに「アイスランドで撮影する“水”の写真こそ、自分が本当に撮りたい写真なんだ」と感じました。自分の写真を通して、生命の源が「水」であることに気がついたんです。ただ美しい。それだけでいい。人間の体って水で構成されているし、水には心の弱さや抱える苦しさを綺麗に浄化してくれる力があるんだなと感じました。

それまでは、20年以上京都から離れていましたし、家業を継ぐ自分を想像したとき、これまで生きてきた世界との違いにばかり目が向いていたんです。でも、アイスランドの水の撮影を経て、家を守ること、京都で暮らすことの大切さを自然と感じることができて。家業を継ぐ決断をする大きなきっかけとなりました。

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当たり前だからこそ気づけない、身近な美しさ

2008年には、アイスランドで水をテーマに5年かけて撮影した写真集『SOL』を東京で発表し、30代の頃は、海外を中心に旅をしました。外をより知ることで改めて日本を客観的に見ることができ、見れば見るほど日本の素晴らしさ、特に京都の魅力に気づかされて。2009年に実家を継ぐ決意を固め、2011年に京都へ戻りました。

きっと京都での暮らししか知らなかったら、これほどまで水に惹かれることはなかったと思うんです。戦争の恐ろしさを経験し、また世界中を旅したことで、「京都の水」の素晴らしさに気づけました。実際、京都の水の美しさに気づいている地元の人は、あまりいないんじゃないでしょうか。たとえば、京都の真ん中に流れているとても美しい鴨川も、私がそうだったように誰もが当たり前のものと認識している。

私はこれまで約30カ国以上を巡りましたが、街の真ん中を流れる川で鴨川ほど水の美しい川を見つけられなかったんです。川とか水場の風景を無意識的に撮影してしまうんですが。こういう身近な場所の素晴らしさも、世界を見てきたからこそ気づけたのだと思います。

「京都の文化」と「水」の親和性

京都の文化は、水と共に育ってきたと思うんですが、中でも、食文化はその影響が大きいですよね。京都で採れる食材はあまりないのに、とにかくおいしい。なぜなら、水が素材の味を引き出してくれるから。蕎麦の出汁や豆腐、お茶……食文化以外だと、染め物とかも。本当に、京都の文化は水と共に育まれてきているんだと、日々実感します。

「つながる地域のものづくり」第3回 稲岡亜里子氏【京都の水を軸に、時を経ても存在できるものを】

水は命の源である一方、危険を及ぼすことも。私自身、インドやアフリカでは水が原因で身体を壊したことがありました。だからこそ、自分の身体と心のレベルで、京都の水の美しさ感じることができているんです。今、家を継ぎ京都で仕事をしている理由は、水を通じて京都の歴史を感じられるから。水は、私の人生の大きな教えのもとです。

奇跡的な場所。それが京都

京都ってすごく変わっているというか、奇跡的な場所だなって思うんです。日本自体がそうとも言えるんですが、「水がきれい」という大きな特徴がある。中でも京都はほかの街と比べても、ちょっと特殊な立ち位置ですよね。

禅や京舞をはじめ、時が経っても残っている文化があって「それって何なんだろう?」と、写真家的な目線からも興味深い題材が多くあります。まだ見たことのない世界にとてつもなく惹かれる性分の私からすると、海外にいた頃に客観的な視点で見て「京都で暮らせば、新しい世界が見えるかもしれない」と感じるような場所だったと思います。

「つながる地域のものづくり」第3回 稲岡亜里子氏【京都の水を軸に、時を経ても存在できるものを】

日本人のものづくりはメッセージにあふれる

老舗とか古くからの商売を続けているお店の意識には、そこに関わっている全員のことを考える心があり、私はそれをすごくサスティナブルだと思っています。私は今こうやって当主をさせてもらっていますが、それは、私だけではない父や祖父、先祖の代から続いてきた地域の繋がりなどがあって、今だけではない時間によって存在しているんです。

今だけの成功を考えると方法はいくつもあるけれども、いざというときに助けてくれる人がいなかったり、成功の陰で犠牲になる人も出てきてしまう。京都や日本に根付いている、相手を思いやり支え合う心は、世界的にメッセージ性があるんじゃないかなと感じています。

移ろいゆく時代のなかでも残るものを

550年の歴史ある老舗蕎麦屋の十六代目当主として残していきたいものは、「本家尾張屋」クオリティです。昨日よりも今日の方がおいしく、今年よりも来年の方がおいしく。この、品質の向上を続けていくということが、なかなか簡単じゃないんです。食材の価格変動や、どこまで手間をかけられるかも重要になってきます。

とはいえ、残していくだけが大切ではないと思っていて。時代は移ろうもので、当然それに合わせて味覚や人が求めるものも変わっていく。この微妙なニュアンスは、シビアに、そして客観的に判断していく必要があります。先代たちは、そうした移ろいゆく時代のなかでも残る、確かなものを作ってきてくれています。

だから今、私の代で私がやるべきことは、次の代またその次の代になった時にも良いと思えるものを残すこと。どれだけ時が経っても、誰かにとっての居心地のいい空間として存在できるものを残すことができればいいなと、願っています。宝来そば

稲岡亜里子が惚れこむ造園の匠

西海園芸の山口陽介氏

「つながる地域のものづくり」第3回 稲岡亜里子氏【京都の水を軸に、時を経ても存在できるものを】
写真:太田拓実

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の代表である山口陽介さんをご紹介します。山口さんの庭づくりには、伝統を理解し、その中で形だけに縛られず根元の精神性を大切にしていく自由な姿勢があります。

そんな山口さんが作られるお庭空間は、とても気持ちがよく、人と自然が寄り添った宇宙を感じます。高校卒業後、京都の庭師の元で作庭を修行し、ガーデニングを学ぶためイギリスに渡った世界的な庭師の方のお話を、ぜひ聞いてみてください。

<第4回 西海園芸の山口陽介さんへ続く>

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